2015年9月23日

いまからでは遅すぎる

この連休中に、近所のバーでやっているジャズの飛び入りセッションに参加してきました。
くやしいが全然弾けなくて、一ヶ月以上前から曲も決めて練習してたのにな。

でもそういう発表会根性が駄目なのかもしれない。し、単に練習内容の問題かもしれない。「練習」なんてわざわざ口にするかどうかは別にして、練習しないミュージシャンなんていないと思うし。余計に気取った言い方になるかもしれないけど、「自分の表現を磨く」と言ってもいい。
じゃあどんな風に。それが知りたくて、とにかく人の演奏に触れることでヒントがあるかもと、飛び入りセッションなんて突拍子もないことをしたのかもしれない。でも、発作的につまみ食いをやっても結局はごまかしでしかないのか。「俺はこんだけやりましたよ」みたいな。誰にそれを言うのか。

実は昔ジャズギターを習っていたことがあって、何にもない高校生に本当に貴重な経験をたくさんさせてもらった、その頃の先生にはいまでも本当に「ありがとうございます」と思っている。いま良い演奏(活動?)をすることでしか返す事のできない恩のように思っているが、果たしてそれができているのか。迷いがあるのは、「できてない」ということなんだろう。くやしい。

で、これは自己弁護ではなくて、今回改めて思ったのだけど、
ジャズのセッションってものすごく型が決まっていて、テーマやったら次はソロを順番にとって、ときどき「ヤー」とか言って、そのあと4バースか8バース。テーマに戻る。で、テーマの最後は…と、まあ細かい描写はいいか。
ああ、こういうやり方が嫌で「レッスンやめます」って言って、辞めてしまったんだよなと思い出す。でも、それも出来ないのが自分の現状。いまとなっては、自分の事を棚上げしてプライドばっかり高かったんだとは思う。

何でも出来る上で自分の道を進むべきとは思わない。アートリンゼイに「ちゃんとしたギターも弾けないと」とは言わない。
みんながみんなまんべんなく器用になるのはちょっと変な世界だ。そもそも有限な時間で、そんなことはありえない。
ただ、多少なり迷いがあるとしても、誰かを目の前にした時、自分がいましていることくらいは自信を持って堂々とやれないと駄目だよなと思う。そういう覚悟は、分かる人にはすぐわかるし、分かる人の前でやるべきだ。

覚悟が中途半端だから、こうやっていつまでも未練があるんだよと、そんなことをこの日思った。

帰り際、主催者の方に「次回は10月の祝日だよ」と言われた。
さて、それまでどうしよう。

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