マグリット展に行ってきました

用事があって京都へ。着くと構内に広告。いま、マグリット展がやってるんですね。
なかば強引に時間を作り、閉館30分前ぎりぎりに滑り込んできました。
駆け足で美術館に向かうあいだに、数年前まではライブや展示や映画なんかにしても、よく自分で調べて足を運んでたのになあと思った。
































閉館まぎわだけれど、それなりに人はたくさん。
場内では警備員さんたちがインカムで連携をとって、じわじわと後方を固め、前の絵に、前の部屋に、戻らせまいと控えめながらプレッシャーを上手にかけてくる。まあ、それはさておき良い展示を楽しめました。

マグリットの絵を観ていていつも感じるのは、不可思議でいて穏やかな印象。
飄々とユーモラスにさえ思える作品もあって、わりとゆとりのある中で製作を継続できていたのだろうか。解説経歴の類いを読む時間はなかったので、ほとんど絵だけをじっと観る。
「どんなことを思って絵を書いていたのだろう」「どんな人だったのだろう」と思いめぐらすこと自体が野暮なのかもしれない。そういう「(自分の)思い」みたいな感情を描くつもり自体がないのかもしれないと思う。ときおり、生活の化けの皮をはがされるように感じる絵もあるけれど、冷徹に批評的な印象はないし、そういう「狙い」が最優先されているようにも思えない。コンセプトだけで量産しようと思えば出来るスタイルなのだろうか…だとか、たわいもない考えを浮かべては打ち消す。
そのとき感じていたことを、考え言い表そうとすると、絵の周辺であれこれと思索しているだけのようになってしまうけれど、実際に絵を観ているときにはその絵の中にいるような実感があった。マグリットが絵の中深くに降りていった痕跡のように、観る人が絵の中に入っていくための空間がぽっかりとできているように思えた。
あまりに短い時間の出来事。できればもう少しそこにいたかったけれど、そう出来なかったのは前述の通り。旅の思い出のように、思い返してそこにいるように楽しんでいるけれど、できればやっぱりもう一度ゆっくり行きたい。説明のつかない、その作品のただ中にいることでしかない感じが、芸術のかけがえのなさだと思う。

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