2022年11月28日

アンテナ

11/27

年配の音楽友達で師匠でもあるOさんの家に頼まれていたCDRを届けに行く。いつもレコードのダウンロードコードがラインの写メで届くので、それを落としてCDRにして届けるというお手伝いをしているのです。

ブツを渡した後は一緒にレコードを聴く。「最近レコードが高すぎて買われへんわー」と笑いながらも、一ヶ月前来た時よりだいぶレコード増えてて、「買われへん」の規模感が違うというか、お金あって羨ましいなーと卑屈なわたしだな。

ユニオンのサイトでひたすら試聴して買っているというだけあって、サブスクほどにアルゴリズムに絡め取られていない、いい意味でバラバラというか独自のコレクション。その中でも、サムゲンデル諸作とかピノパラディーノの2020年作(話題作の前のやつ)とか、international anthem界隈のアルバムとか齢70代とは思えないフレッシュな品揃えがすごい。Oさんに教えてもらって好きになったアルバムもかなりある。今回届けたcdrのJeremy Cunninghamなんかも最高に良かった。

レコードを聴きながらあれこれ話す。子育てに忙殺されて音楽が入ってきにくくなっていることを聞いてもらう。話さなくてもOさんはわかっているのだろうし、だから、こうして会う機会を作って、その度に音の差し入れをくれたりしているのかな、と思ったりもするけれど。

この前Big Thiefのライブに行った時の感想を初めて人にした。すごい会心の演奏だったと思うし、会場のめちゃ盛り上がっていたこと、自分も気持ちよくゆらゆらと揺れていたこと。けれど、自分の心の一部はどこか入り込めなかったこと。これをなかなか話せる人がそばにいなかった。わかってほしいから、わかってもらえないかもという人には話せなかった。

毎日の生活で頭や心が音楽にチューニングされていない、と感じる。ライブに行ってようやく焦点を結びかけても、その時間が終わり、家に帰ると受信していたアンテナがしょぼしょぼと曲がってしまう。刺激が周りを漂っているけれど、アンテナがそれをキャッチできない。不感症、ってこんな感じなのかな、とか思った。みんなこういう時期があるものかなと、それをOさんに聴いてみたかった。今も音楽を楽しんでいる現役爺(失礼)に。

で、Oさんにもそういう時期があったという。他に、集中を要する仕事に追われていた、そんな時期がありその頃はほとんど音楽を聴いていなかったと。エレクトロニクスみたいなのばかり、うっすら流していたと。(とはいえ、聴いていたのか!)と思ったが。

スッキリしたくても、どうしたってできない時(期) がある。Oさんに会いに行って少しは気分も晴れるかな、とか思ったりしていたけれど、やっぱりそうはいかなかった。楽しかったけれど、心はもやがかったままだ。どちらかというと“みんなそんなものなのかな” と諦めるような納得というか、謎の共感をすることで自分のモヤモヤを鎮めに来たようなそんな気分だ。

これまで受信していたものをうまくキャッチできなくなり、新しい磁場でうまくアンテナを立てられなくなって、愛とか家庭とかそういうスタンダードを捉え損ねると、人はそこでその人なりの古典にのめり込み、もう戻ってこなくなるのかもしれない。

古典の同好会は大事だというお話?いかにも日本のポスト中年男性という感じだな。うーん苦い。



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