2023年9月21日

朝のルーティーンのことで、最近考えていること

毎朝、コーヒーを豆から淹れている。

お湯を沸かして、豆を挽き、コーヒーフィルターをセット。お湯をポットに移し替え、豆にポツポツと数滴、慎重に。30秒の蒸らしを終ると、3回に分けてお湯を注ぎ出来上がり。サーバーからお気に入りのカップに移していただく。

そういう習慣が、少なくとももう5年以上は続いている。いわゆる「整う」というやつだな、これは。

しかし、整っているのか?先日不意に思った。コーヒーを淹れるのは、確かに儀式的で良い気がする。が、しかし、だ。トトノッタ私はといえば、飲みながらネットを見たり、茶菓子を食べたり。時には読書もするし、何かしらの覚書のようなものも書くには書くが、頻度としては前者の方が圧倒的に多い。瞑想的な何かとは程遠い、なんというかダラーっと間延びした感じなのだ。これ、コーヒー淹れなくてもできることばっかじゃない?

自分の本分は、音楽を作り演奏することだと今でも信じている。じゃあ、ギター弾いた方が良くない?整えるのに。瞑想的な時間に耽るのに。って、ツッコミを入れてみる。

パフォーマンスのためのルーティーンとかトリガーってよく聞きますよね、私も聞いたんですあちこちで。それで、そういうの良いな…って思って。でも、コーヒー、ルーティーンにもトリガーにもなってないよね、わたし。それに、パフォーマンスを発揮する最低条件って少ない&短い方が良いよね。

とまあそういうわけで朝のコーヒールーティーンをやめてみようと思った次第。今のところ、コーヒー飲みたいーとは、そこまでならない。ここ1,2年くらいは経済的な事情もあって、これまでのわりと上等な豆から安いやつに徐々にグレードも落としていて、まあそもそもそんな美味しいと感じる物でさえなかった、とそれも大きかったかもしれない。とりあえずギターを弾く時間は、毎朝20分くらい増えました。もう白湯でいいよこれからは。と今はそんな気持ち。

いまわたしは整ってるかは知らない。しかしトトノッテようがなかろうが、楽器を物理的に触る時間は、育児真っ只中のいま何より貴重なことだ。かたや「無駄をどんどん削ぎ落とす」みたいなライフハッカー的余裕のなさを自分の中に感じもするが、コーヒー農家の詰んだ一粒一粒の豆を漫然と消費してしまうくらいなら、この時間をじっくりと味わう方が良いのかもしれない。暫定!

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