2024年3月28日

何度も再開

3/26-27
仕事の合間、お昼時に自宅に戻る。土砂降り。玄関に上がりレインコートを脱ぐ時、一刻も早くこの気持ち悪い状態から抜け出したい本能と靴下を濡らさないように慎重になるせこい動作が拮抗している。

さっさと事務所に戻らないと行けないので、食事はなるべく割愛せねばならない。電子レンジでご飯と残り物のおかずの温め。その数分の間に手を洗ったり荷物を解いたり、慌ただしくお茶を飲む。トレーに一式載せて自分の部屋で食事。作りかけで放置していた「飛騨の山」という曲の音源を聴きながら食事を頬張る。中島らもといしいしんじが「飯って目の前のものを腹の中に移動させるだけって感じでめちゃくちゃめんどくさい」というような対談をしていたことを思い出すな。

食べ終わり、パソコン台の下からスッとMIDIキーボードを取り出し、電源タップをONにする。音楽制作というより事務作業のようだ。ライフハックされ尽くした私のコックピット。ベースラインを白玉のピアノ音で打ち込む。暗雲立ち込めるようなゴーンという響き、お葬式のような重苦しさがあって、ベースでは出ない雰囲気がある。ジョニーキャッシュのman comes aroudとかhurtあたりの曲を思い出す。あのアルバムから受けた印象が自分の引き出しにしまわれていたのかもしれない。確か大学生の卒業前後くらいに、ピーターバラカンのラジオで耳にしたのだった。確かとっさにMDに録音して、繰り返し聴いたな。同じ放送で、ジョーストラマーがカバーしたリデンプションソングの弾き語りがかかったのも覚えている。そういえば、ジョニーキャッシュのこの時期のアルバム(セルフタイトルに数字が当てられたようなシリーズものだったように思う)が10年以上前の森田さんのイベントでseで使われていて、ギャルリーチガーヌという場所だった。その時出演していたのが誰だったとかもうほぼ忘れているけれど、この曲のことだけが明確に残っている。「今日かけていた曲はなんですか」と執拗に尋ねたのだった。みんな若かったなあとか望郷のような情緒になる。

翌日の夜、ピアノを入れた「飛騨の山」にエレキギターを重ねてみる。元々入れていたシンセサイザーは音色にもリズムにも躍動感がなくって、フレーズをギターに置き換えてリプレイ。やっぱり自分が音楽にうねりを加えられるとしたらギターか歌だなと思い、シンセをミュート。針金を曲げて動物とか楽器を作るあの技術、自分にとってはギターがそのためのツールかもしれない。腕が鈍っていて手が自然に導かれない感じがあり、とりあえず録音を保存して家事に戻った。

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