2024年3月4日

螺旋階段を降りないように

この前のライブは、うーんイマイチだったなーと思う。自分の演奏(の心構え)が。なんかステージで表現することから逃げてうつむいていた気がする。音も内側にこもっている。耳に一層膜が多く張られているようで、音は確かに聴こえているけれど、掴めない。水の中で手をジタバタしているような、実態のないものに触ろうとしているような、そんな手応えのない感じ。聴いていた人がどうだったかわからないけど、自分がそう感じているんだから、多少それが外にも出ているだろう。
自分が「めっちゃいい感じの演奏できた!」みたいな万能感に浸っている時は、案外そうでもない場合がままあるけれど、自分が「なんか冴えなかった」と思っている時は結構そうなのだ。
耳や気持ちを外に開放するための儀式みたいなのが、あまり自分にはないなと思う。それは演奏に限らず、日々についてもそう。たまたま機嫌が良いのと、自分で自分の機嫌を(ある程度、だが)取れるのはだいぶ違う。自分の場合、かなり外的な環境がいい感じに揃わないと調子を発揮できない、みたいな甘えた根性がある。のをなんとかしないといけない。軟弱。前に書いた、ライブ前に飲酒してリミッターを解除する取り組みも形骸化してきて、単に判断力をぼやかしているだけのような、もとが冴えない時はかえって事態をダメにしてるんじゃないかなっていう気もしてきたし。ちゃんとしたいな、と思う。ちゃんと、とは。ちゃんと、じっくり喋ったな、いい時間だったな、といった感じの充足感。楽しむのが下手だなー私は。反省してもあんまり意味ないので、根気よく手足動かしてちょっとずつ心を成形していくしかない。次はうまくやります(ので、これからもよろしくお願いします)という気持ち。誰に言っているのかな、自分は。

そんな感じの1日でしたが、それでもこの日なぜかトントンと3つのライブオファーをいただき、本当にありがたいなと思ったり。贈与されてばかりだ。大感謝祭みたいな規模のイベントでもやらないとバランスがとれないぞ。
気合いの入った自主企画をいくつかしていた時のことを思い出す。ただ、思い出して元気が出るなら良いのだが、かえって今の自分を不甲斐なく思ってしまうようなところがあり、思い出すことが不毛すぎて、やっぱり手足を動かせという話になる。評価や成果を受け止めるのが怖いのなら一人で部屋にいれば良いが、それも退屈なんだったら勇気を出して何でもいいからやってみたらどうかな、と自分に提案。中年の危機を乗り越えられるまで、まだもうちょっと道のりがありそうだなあ…

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